鋭意製作中

8月に入りましたまだ完成していません。
今月こそ完成へ!

2011年11月29日火曜日

NDL Potsdam (47) - 作業再再開 - 手すり3

今日は、いよいよ手すりを台紙から切り離します。

下の写真は四本のバーをつけ終わったところ。拡大すると所々に間隔の狭い部分と広い部分ができてしまっていますが、これくらいはご愛嬌ということでお許しあれ。


下の写真は、台紙から切り離したところ。無事に取り出せました。縦の支柱が台紙とくっついていましたのでそれを切り離せばとれますが、切るというよりは、ナイフを上から押し付けて潰して切断するという感じの方がうまくいきます。ナイフを横に動かして切ろうとすると、どうしても横への力が働いて支柱が曲がってしまいます。



上の写真では、この柵のトップのウッドが載る部分を紙で残してあります。この部分を褐色に塗ってウッドの感じで仕上げようと考えていたのですが、これを水平に折り曲げるのは難しそうですので、とりあえず切り離してみました(下の写真)。


バー四本で繋がっていますので、下の写真をご覧になればわかるようにかなり頑丈です。片持ちでも、コーティングした糸の弾力のお陰で形状は安定したままです。


はい、最後は木工用ボンドで本体に接着しました。化学糊でも付きますが、こういう部材は糊が乾いたときに修正しようとすると、化学糊だと力を加えるとはがれてしまうことがありますので、木工用ボンドの方が重宝します。


さて課題はトップのウッド部分なのですがどうしましょうか。紙の細い帯を作って着色した上で接着というのも良いのですが、それだと曲線部はかなり難しくなりそうです。

もう一つの案としては、少し太めの糸を木工用ボンドでコーティングして着色後にトップに載せるというやり方。コーティングした上からだと着色がうまくいくかどうか不安があります。

2011年11月21日月曜日

NDL Potsdam (46) - 作業再再開 - 手すり2

造船所が廃業していないことを示すために、昨日に引き続き、またこんな細かい途中工程をご覧に入れることにしました。

機能の手すり(柵)の二本目の横バーです。昨日は一挙に糊付けしましたが、今回は支柱5本くらいずつ糊付けして、それを繰り返すことで全体を接着しました。

二本目接着後の写真です。



部分的な作業を繰り返すと、バーの直線性が損なわれるかなと心配したのですが、そんなことはありませんでした。糊が乾いて硬直する前に糸を載せますので、安定性はこちらのやり方の方が高いのではないかと思います。

まだあと二本接着しなければなりません。

2011年11月20日日曜日

NDL Potsdam (45) - 作業再再開 - 手すり

ふねきちさん、コメントへの回答、こちらに書きますよ。

はい、再再開しました。これからこの「再」の字がいくつ付くんでしょうね。船が完成する頃には、ブログはほとんどこの字だけで埋まっていたりして。

あるいは、何回再開しても、それはやはり「再開」であって、そもそも「再再開」などというのはおかしいのでしょうか。

そんなことはどうでもいいことですね。ふねきちさんに言われて急いで再開しましたので、まだ一つの部分ができる前の状態ですが、とりあえずご覧あれ。今日の作業は、手すりの一部です。下の写真を参照。


中央の部材で作業が進んでいて、手すりの支柱になる部分を残して間隙部を切り抜きました。そこにボンドをコーティングした糸を接着しました。これだけ大きな部分を接着するのは難しいですね。手際よくやらないと、最初に糊付けした部分が、最後に糊を置いた頃にはもう乾いてしまって、接着力を失っているということもあります。糊付けは面倒でも部分的にやって、それを繰り返した方が、結局は手間がかからず、しっかりと糸を接着できるかもしれません。

しかしこのシートだけでも何と手すりの部材が多いことか。

日が短くなってくると、こういう細かい仕事に挑戦する意欲が失われてきます。冬至まであと一ヶ月足らずですが、午後4時には大分暗くなっているし、そうでなくても北ヨーロッパの冬の空はべったりと低い雲が地上の人間世界を圧迫していますので、一層仕事の意欲が奪われます。

ふねきちさんは、ヨーロッパの夜をご存知ですか。夜が暗いというのは、夏の白夜でもない限り日本もドイツも変わりません。日本とドイツが違うのは、そのくらい夜を人工の灯で明るくしようとしないところでしょうか。レストラン、酒場はもちろん、街路や住宅だって、灯はあってもうすぼんやりとしていっこうに明るくありません。

ドイツに来たばかりの頃は、ゲルマン人は暗い森で生活していた時代が長かったから、暗いところに慣れていて明るい照明を必要としないのかな、と思っていたのですが、どうもそうばかりではないようです。夜というのは、暗いもので、その暗さを楽しむもの。暗いという自然に逆らって昼間のように明るくしてまで仕事や細かい作業をするなんていう不自然は許されないんでしょうね、この国では。

というわけで冬の間は、濃霧の中を行く船のごとく、進んだり止まったりですが、どうかお許しあれ。

ふねきちさんのブログは、作業の進捗如何に関わらず、拝見しています。神戸の明るい空が羨ましい。

2011年10月3日月曜日

NDL Potsdam (44) - 作業再開

今日のドイツは10月3日「統一の日」でお休みでした。造船所は長い夏休みも過ぎ、ようやく作業を再開します。

デッキ上では細かい作業が続きますが、今日は手すりを作り、船に設置しました。


上の写真がその手すりですが、手すりは小さいものほど作りにくいですね。こんな小さなものは、支柱が両脇にあるだけなので、接着する部分も小さくかなり苦しい作業です。

そしてできた部材を設置しても、小ささ故に作業がすこぶる進捗したというようには見えませんので精神的にも辛いところ。





上の写真が上の手すりを設置したところですが、どこについているかわかりますか。操舵室のあるデッキとその後ろの一段低くなったデッキの境につきました。

しかしこうアップにして写真を撮るとあらが目立ちますね。歪んでしまった手すりも目立ちます。

無理に矯正しようとするとはがれてしまいますし、これで諦める他ないかもしれません。

一回限りの真剣勝負というときもありますね。

2011年7月17日日曜日

NDL Potsdam (43) - 手すりの材料 - ボンドでコーティングするあの方法(2)

以前どこかで書きましたが、手すり用の材料の作り方を書きます。今回は、私の経験を踏まえて。

手すりの材料は、支柱には紙を使いますが、横のバーはボンドでコーティングした糸を使っています。

その作り方は、まず糸を湿らせ、下に錘を付けて吊るします。錘には大型のクリップを使っています。次に、手を水で濡らして指にボンドを載せ、糸を上から下へとゆっくりとボンドを塗りながら、なぞっていきます。

一度塗っただけでは何とも頼りなく、こんなんで横棒の強さが出るのかと思い、以前は二度三度コーティングを繰り返したのですが、乾いてくるとだまができてしまいます。またコーティングが厚いところ、薄いところができてしまって、均質なバーができません。ですから今は、ボンドを塗るのは一回の限りにしています。焦らずゆっくりと同じ早さで糸をなぞり、ボンドが糸に均質に載るようにするのがこつです。

このためボンドは、速乾性のものよりは通常タイプのものの方が、扱いやすいでしょう。

この作り方ですが、私は、大澤浩之『紙模型でみる日本郵船船舶史 1885-1982』(星雲社、2007年)で初めて知りました。大澤氏は有名なモデル製作者でため息の出るようなモデルを作ります。私ものこの方法で!と意気込んでやったのですが、方法を知っただけでは、できません。何度か試行錯誤をして自分なりの作り方を体得していきました。それでも、まだまだ未熟ですが。


あと、支柱ですが、これは糸ではなく紙を使っています。私は、キットに付いているラインが縦横に描かれた紙の縦のラインを利用して切り出しています。ラインの左右にナイフを入れ、支柱が台紙に残るようにして、不要な部分を取り除きます。そして横のラインを目印にしてコーティングした糸を貼っていきます。ですからバーが支柱よりも外側でなく内側に来るようにするには左右を逆にします。つまり左舷の支柱を右舷に、右舷のものを左舷に。船は左右対称なものが多いのですが、対称でないところもありますので、その部分だけは支柱の裏に糸を貼るラインを描き、表にあるラインは塗装で隠します。


支柱が紙一枚で弱いのではないかという心配がありますが、糸を接着するときの糊がしみこみますのでこれでかなり頑丈になり、250分の1のモデルなら強度的には問題ないようです。私はこの接着に化学糊を使用しています。これは透明で接着の目印になるラインが隠れないので都合が良いのですが、乾いてくると収縮するのか、支柱をそらせてしまいます。出来上がった手すりを本体に設置する前に修正していますが、設置後、時間の経過とともにどのような挙動をとるのかは、今後の観察結果を待つしかありません。


以下の写真は羅針儀デッキのフロントの手すりを作ったときの記録です。

まず支柱を残して、支柱間の部分を切り抜きます。



ラインに合わせて糸を貼っていきます。歪まないように左右をピンとのばすのがこつ。私はまず接続部に糊を置き、その上に糸を左右に多少引っ張りながら載せていきます。250分の1のモデルだと間隔1 mmで平行になるようなものが多いのですが、このフロント用のものは、それよりもやや間隔が大きく1.67 mmです。つまり5 mmに3本。



糸を貼ったものを台紙から取り出しました。トップのバーは、支柱の上に載せますので、切り出した後に設置します。こちらは木工用ボンドで接着です。
糸は1本だけでは、ちょっと頼りないのですが、2本、3本と平行に並ぶとかなり安定します。



フロントの手すりが完成したところです。できた後、直角に曲げたのですが、むしろ切ってから直角に接着した方がきれいにできたかもしれません。力で曲げたのではきれいな直角ができません。

2011年7月15日金曜日

NDL Potsdam (42) - 羅針儀/サンデッキ完成

艤装は、上のデッキから順番に済ませることにしました。上のデッキは船の中心にありますので、下のデッキに細かい部品が先に付いていると、それらを壊してしまいそうですので、このような順番になりました。

まずは最上階の羅針儀デッキとその後方にある半層分低くなったサンデッキの艤装を行います。

予め手すりを作っておきます。横棒はボンドでコーティングしたミシン糸。縦の支柱は紙です。キットの手すりは、紙に縦横の黒いラインが描かれた紙の板ですのでそれを利用して支柱を切り出し、糸を設置していきます。

下の写真は、コンパスデッキの一番前の手すりで、他よりは少し間隔が粗いのですが、前方と両サイドを一直線に作ってから角を90°に曲げました。糸は適度な強さがありますので、カーブを作るのは容易なのですが、直角に曲げるのはなかなか難しい。一度切り離してから直角に接合した方がきれいにできたかもしれません。



細かな部品は、空調の装置の他、コンパスとベンチ。なかなかきれいにはできませんが、400分の1だったStefan Batoryに比べれば、組み立てているという感じ。前作は、ベンチに至っては、もう紙を潰しているような感じでした。


コンパスデッキの後ろは、サンデッキです。大西洋航路の船だとここには温室が作られていることが多いですね。冬園という意味のWintergartenやソラリウムと呼ばれることがありますが。

この船は、大西洋航路ではなく、熱暑のインド洋を横断しますので、温室は不要ということなのか、そのような設備はありません。コンパスデッキと煙突の後ろにはベンチがおいてありますので、乗客がここまで登ってこられるものと思われますが、サンデッキは風が吹き抜ける手すりで囲まれただけのオープンデッキになっています。


手すりの付けられたデッキを前方から見たところですが、無表情だったフロントに、手すりが付いたことで表情ができてきました。


次の二枚の写真は、後方から手すりの付いたデッキをみたところです。煙突の後ろに4つベンチが置かれています。テラス上になった下の甲板を見下ろすのはどんな気分だったでしょうね。直ぐ下にはプールもあります。



手すりが付いたのはまだたったこれだけ。艤装と手すりの設置、気が遠くなりそうです。
大西洋航路の船と違って、東アジア航路の船はハウスが短く、オープンなところが多いので、それだけ手すり作りも多くなります。

歩むような緩慢さですが、自分の足(手)で進まなければ旅は終わりません。水戸黄門のテーマソング「人生に涙あり」でも歌いながらこつこつ作っていきます。

2011年7月10日日曜日

NDL Potsdam (41) - 「魚雷型超快速船」

船を造りながらいろいろと資料を探しています。画像資料は製作に役に立ちますが、文字の資料にも興味深いものが散見されます。

例えば神戸大学附属図書館がデジタル化した東京日々新聞の1934年(昭和9年)12月6日の記事はシャルンホルスト、グナイゼナウ、ポツダム就航の背景と日本の競合社、日本郵船汽船の反応が伺われ面白い。

その三隻の高速性能のことを紹介した記事では、上海 - ハンブルク間がこれまでの36日から24日にもなるほど高速だとのこと。現在の速度とは比べられませんが、低速と言えどもこれまでの極東アジアと西ヨーロッパを結ぶ航路の所要日数が3分の1も短くなるというのは尋常でありませんね。

それらの船を「魚雷型超快速船」と記事は紹介していますが、当時この記事を読んだ人はどんなおどろおどろしい船の形を想像したんでしょう。しかし「魚雷型」というのは水面上の形よりは、水面下の形のことでしょうね。おそらく球状船首の採用を言っているんでしょう。ただシャルンホルストとグナイゼナウは費用を理由として球状船首を放棄しましたので、実際には「魚雷型」はポツダムだけとなってしまいましたが。

記事は乗り物の高速化を流線型の採用と関連させて書いていますが、当時、乗り物の流線型は船に限らず世界的な流行で、日本でも流線型の機関車C53(1934年)、C55(1936年)、EF55(1936年)が造られています。

ポツダム号が建造されたのもそんな時代だったんですね。日本の鉄道では流線型はあまり高速化には貢献しなかったということですが、ポツダム号の場合、水面下の流線型は高速化に大いに貢献したようです。

現代の空の旅は、コンコルドも引退してしまいましたので、高速化は頭打ちです。ベルリンから東京までは、接続がかなりうまくいった場合で13時間、普通は15から16時間は覚悟しないといけません。日本を昼に発つ便ですと中継地点となるハブ空港までの最後の二時間くらいが辛く、乗り換え後はさらにきつい。直行便に乗れればかなり楽になりますが、現在ベルリンと東京の間には直行便はありません。今年度末からBoeing 787の各航空会社への納品が始まるそうですので、直行便の開設に期待しましょう。全日空、日本航空、そしてドイツ第二位の航空会社に成長したAir Berlinもこの機材を発注しています。燃費が良く中型の機材は、需要の少ない長距離路線でも採算の取れる運航が可能とのこと。ベルリン - 東京便の開設成るか?

2011年7月8日金曜日

NDL Potsdam (40) - ファンネル脇のベンチレーター

今回の艤装部品は、ファンネル脇についてるベンチレーターです。艤装品としては大きな部類ですが形が複雑なので工作は結構めんどうです。


まずは、型紙をご覧に入れますが、こんな形です。面倒なのは、この型では紙の厚みを考慮せずにアウトラインを印刷していあること。そのまま切り出すと厚みの分だけ狂ってきますので、どこで調整するかを考えて切り出します。なるべく形の単純な部分で調整するのが賢明ですね。例えば直線部分とか。



組み立てるとカタツムリのようになります。突起部分はモーターが入るところですが、塗装でアウトラインや紙の白を消しておきます。



ファンネルの脇に設置するとこのようになります。これはエンジンへの吸気用のベンチレーターだと思われます。強制吸気ですね。こんなところもモダンな仕掛けになっています。




ところでこの複雑な形、カタツムリと表現しましたが、何かに似ていると思ったらバイオリンなど弦楽器の柄の頭に付いてる装飾にそっくり。カタツムリのことをドイツ語でSchnecke(シュネッケ)と言いますが、これは、まさにバイオリンやチェロなどの頭部の渦巻き装飾のことを表す単語でもあります。このベンチレーターは、機能から必然的にそんな形になったのでしょうか、それとも設計者が音楽好きで、設計のときに楽器の形が頭をよぎったのでしょうか。
無意識のうちに日頃見慣れたもののイメージを使っているということはありそうなことですね。下の写真は、近所の楽器工房のショーウィンドーです。ガラスに映った通りばかりがよく見えて、あまりいい写真ではありませんが。

2011年7月5日火曜日

NDL Potsdam (39) - コンパスデッキ上の換気口カバー類

艤装が始まりました。まずはコンパスデッキ上の工作です。

換気口のカバー(Lüftermantel)が主な工作物です。グランドピアノを縦にしたような形の物は、モーター付の強制換気装置です。排気でしょうか、吸気でしょうか。動力装置の入るハウジング(Motorengehäuse)まで再現されています。こんなふうに艤装ではたくさんの筒を作らなければなりません。紙をきれいに曲げる技術が問われます。円柱の底面になる円盤は、今回はハサミで丸く切ってみました。それよりはパンチで空けた穴のパンチ屑を使った方が効率的です。




これらを設置する前のコンパスデッキです。ドイツ語では、コンパスデッキと呼ばすに組み立て説明書の部材リストではPeildeckと表現されています。測定甲板とでも言うのでしょうか。羅針盤をはじめ、測定機器も付きます。
写真ではファンネルの黄色をちょっとレタッチしたところが目立ちますね。オリジナルの黄色は、少し赤みがかっていますが、私の使った塗料はレモン色に近いので違いが出てしまいました。オリジナルの黄色は、なんでしょうね。プラモデル用の塗料にルフトハンザイエローというのがありましたので、そちらの方がこの黄色に近いかな。



こちらは、部材を設置したところ。この写真は、明るさを修正していませんので黄色の違いがあまり目立ちません。肉眼で見るのに近いと思われますが、同じ色でも微妙に違いますので、塗装による修正は注意が必要ですね。


こんな細かい作業が延々と続きます。嫌でも気が長くなります。
気の短い人は、胃をやられそうです。精神修養には良いかもしれません。

2011年7月3日日曜日

NDL Potsdam (38) - ファンネル立つ

操舵室ができて船の正面からの表情が決まりました。そして今回はファンネルが立って船の横顔が確定します。

どうですか。ぐっと船の風格が出てきました。
前回のコメントに、北ドイツロイドのファンネルは素っ気ないという意見がありましたが、これだけシンプルだと逆に目立ちますね。
今やこの黄色は、ルフトハンザのロゴでは見られますが、ハパグロイドにはありません。このファンネルが、神戸や横浜の港に入ってきたとき、風景とどんなコントラストを構成していたのでしょうか。




次は、私の好きなアングルです。これもなかなか。




右舷全体です。ほら、やはりこのシンプルなファンネルは却って派手ですよ。宣伝効果は、ロゴを入れたりトリコロールにするよりも高いのではないでしょうか。



そして正面から。台にしたアイロン台の黄色が反射してしまってあまり良い写真ではないですね。夕日に向かって航行しているところとでも見てください。前作のStefan Batoryほどではないのですが、やはりどうしてもデッキは傾きますし、平坦にはなっていません。真っ直ぐ、垂直にファンネルを立てるのに、少しカバーを修正して接着しました。


ファンネルが立ったところで、進水式としましょうか。胴体ができて水が入らなければ、いつでも進水式はできるそうですが、ここまで出来てからというのはちょっと遅いですかね。

これから艤装が始まります。細かい部品は紙の厚みとの戦いです。

2011年6月30日木曜日

NDL Potsdam (37) - ブリッジデッキ/サンデッキ

船の最上階である二つのデッキにハウスを作り、船の顔とも言うべきブリッジの前面の壁、ウィングの工作を進めています。

まずはこれ。ウィングのところに風が通るような細いすき間を作ります。これ何なんでしょう。ここを風が通ることで空気の流れを調整するのでしょうか。デフでしょうか。フロントに当たった風がここを通ることで流れが上向きになり、煙突からの煙がデッキに流れ込まない? ちょっとわかりません。


操舵室は、キットのままだと窓を穿つようにはできていませんので、当然ながら中も何もありません。窓を空けても中はほとんど見えないのですが、床ぐらいは作ることにしました。ラインを平行に引き、茶に塗って木製の床を表現してみました。氷川丸の操舵室を参考にしました。あとは操舵機も、と思ったのですが、資料がないため断念。




操舵室のフロントの壁をつけ、天井になるデッキを設置しました。



全体を前方から見るとこんな感じです。操舵室まで組み立てられたことで船のイメージがわかるようになりました。どうですか。NYKの欧州航路には最新鋭の船として当時、靖国丸、照国丸が投入されていましたが、それと比べるとかなり近代的な感じがします。靖国丸、照国丸は1930年代の初め、欧州航路用に作られた新田丸級が1940年代の初め、そしてこのポツダム号とシャルンホルスト号、グナイゼナウ号が1930年代の半ば。ポツダム号の近代性は、新田丸級に近いように感じます。ちなみにポツダム号の機関は、ターボエレクトリック、つまり発電機を回して電機を作り、それでモーターを回して動力としていました。これも近代的。




最後の写真は、岸壁に立ったつもりで見上げてみました。舳先も画面に入れるとよかったかな。

なるほどぉ。

谷崎潤一郎が、『細雪』の中で登場人物の口を借りて、ドイツの(客)船は尖っていて軍艦みたいだ、と表現した理由がまた一つわかりました。これまで船の胴体が尖っていることをそう言ったのかと思っていたのですが、それだけではありませんね。

この船、乾舷が浅く、ハウスのフロントはメインデッキから操舵室まで一気に積み上がっていて、乾舷の低さに比してその高さが強調されています。これってまさに軍艦のプロポーションですよね。上の写真のメインデッキの白い部分はカーゴハッチをつけるところなんですが、ここに砲台があったらまるで巡洋艦のよう。当時ドイツの船がどう見えたのか、また一歩、谷崎の視点に近づくことができました。

ちなみに谷崎さん、結構乗り物好きのようですね。関西から東京に出て来るときは、夜行鈍行列車の寝台をよくご利用だったようです。親近感がわきます。




ハウスの最上階までできましたので、次はファンネルが立ちます。黄色い煙突が立つと、紛れもなく北ドイツロイド所属の船になります。

2011年6月27日月曜日

ベルリン技術博物館訪問

日曜日の昨日は、久しぶりに時間があいたのでベルリンの技術博物館に行ってみました。

ベルリンは、東西ドイツ統一以来、首都移転以来、サッカーワールドカップ以来・・といつまでも工事が続いていて交通インフラも例外ではありません。

ベルリン技術博物館は、地下鉄1号線と2号線の交差するグライスドライエック (Gleisdreieck) が最寄りなのですが、この駅もともと作りが複雑な上に工事中でもあり、ホームから出口にたどり着いても、地元の人でなかったら自分がどこに出てきたのかわからないでしょうね。地元の人でも迷うんですから。

下の写真は地下鉄のガード下。ベルリンの地下鉄はとても古く、かつての都市中心部以外ではこのように高架鉄道になっているところもあります。このガードも年代物。このトラスだけでも産業遺産的な価値があります。


さて出口から5分ほど歩くと、目指す博物館が見えてきます。目印は地下鉄の車窓からも見えるこの吊り下げられたDC3。ベルリン封鎖での大空輸作戦の主力機です。



この博物館、展示は陸、海、空の交通ものが主体ですが、その他にも織物、映像、印刷などの展示もあります。今では鉄子、船子?なんて方々も増えてきているようですが、乗り物好きといえば昔から男の子の専売特許。でも、それでは学校の校外学習の訪問地になりにくいってことで、織物などの女の子になじみのある展示を入れているような気もするのですが、博物館側の意図はどんなものでしょうね。

敷地は広大なのですが、展示は総花で船だけを目当てに行くとちょっと物足りない感じもします。

例えばこれ。私の好きなペーパークラフトの船模型ですが、ドイツが誇る名船ブレーメンです。モデルとしては、できはいいのですが、ドイツ客船の最高峰が、このペーパークラフトだけというのはいかがなものか。
このモデル、おそらくブレーマーハーフェンの船舶航行博物館が販売しているのものでしょう。縮尺は500分の1だと思われます。どなたかが寄贈したものかも。
モデルは他にもあって、中にはプロフェッショナルや博物館が作ったと思われる精巧なものもあるのですが。





そんな展示の中で私が興味を持ったのはこちら。19世紀末以降のドイツからの、東欧諸国からドイツを経由した北米移民を扱ったコーナー。

下の写真はハパクの広告ポスターですね。ベルリンからハンブルクへは汽車で、ハンブルクからはハパグの船で、ロンドンに寄港してニューヨークへというものです。この頃から、大西洋横断ルートは近代船舶交通史の花形となり、オーシャンライナーと言えば、即大西洋航路の客船のことを指すようになりました。同時に客船は大型化、高速化していき、最速横断を競って「ブルーリボン」を奪い合っています。豪華客船の旅も、けして富裕層だけの関心事ではなく、庶民や細民も黙ってはいられないものだったのでしょう。



そして面白いのがこれ。当時の船室を再現したもの。まずは一等キャビンです。このキャビンはカウチが二つ、文机などがありますが、広さも当時のものを忠実に再現したものか、ちょっと怪しかったのですが、かなり広々としています。




そしてもっと面白いのが四等の寝台。その下の写真は説明ディスプレーのものですが、寝台は二段ベッドでぎっしりすき間なく、並んでいます。このクラスは、ドイツ語ではZwischendeckklasseと言いますが、直訳すれば「デッキ間クラス」ということ。だからキャビンとは言わないのですね。日本にも移民船と言うものがあり、同じような作りだったと思われますが、こちらの方がシステマティックな印象を受けます。何といっても、移民船という移民専用の船があったわけではなく、通常の定期運行する、豪華客船とも呼ばれる船の一部が、このような移民のスペースであったことを考えれば、それがどれだけ社会現象として定着したものであったかは容易に想像できます。

映画の『タイタニック』の世界も、こんな豪華客船でありながら、最下層の人々の移民の船でもあったオーシャンライナーの世界を描いています。二つのクラスを比較すると、その差は現代の旅客機のファーストクラスとエコノミークラスの差以上の隔たりがありますが、四等の狭い寝台で見る夢も、一等の豪華な船室で見る夢に比べて狭いということはなかったのでしょう。



船の展示は、航空機の展示と一緒に、新しい建物に入っていますが、DC 3が吊り下げられた展望台からはベルリンの地下鉄/高架鉄道がよく見えます。運河ぎりぎりのところを走らせているのは、未来主義といったらいいのか、将来の交通はこんなことになるんだろうという想像の上にわざとそのように作ったのではないかと私は想像しているんですが、事実はどうなんでしょう。



今回の訪問では船舶部門と、それに隣接する航空機部門を見ました。こちらは戦前のドイツ航空史に輝くFocke-Wulf 200 Condorの機内を復元したもの。現代の飛行機とは機内のスペースでは比べ物になりませんが、座席はかなりゆったりとしています。通路を挟んで2-1の横3列の座席配置。対面のボックス席もあり雰囲気としてはかつてヨーロッパを走っていた国際急行列車TEEのオープンサロンタイプの車両。当時TEEは、今のヨーロッパ国際急行列車ユーロシティー(EC)とは違って、一等車だけで編成されていました。
この機体は4発で大西洋も無着陸で横断できたそうです。極東との航空路にも利用されるはずでしたが、その運航を阻んだのは距離ではなく戦争でした。


日曜の午後の一時を博物館で過ごし、散歩しながら家路につきました。ベルリンの中心街は、しばらく足を向けなかったのですが、新しい建物や店舗もできており、観光客で賑わっていました。

2011年6月24日金曜日

NDL Potsdam (36) - 水泳場周辺

ブリッジデッキ(Brückendeck)とサンデッキ(Sonnendeck)の工作が進んでいます。

前者は後者よりも一段高くなっていますが、両方は小さなステップで繋がっています。サンデッキの前方は、作りが細かく、通路が前方の奥へと伸びていますが、この船室の壁がちょっと不思議な感じです。

壁にたくさんのドアがあります。しかもドアばかり。いったいなんでしょうか。

左舷側のキャビンの壁はこうなっています。



そして右舷も。



雰囲気としては刑務所の独房という感じです。時代が時代だけに政治犯や反体制の人物を閉じ込めるための施設でしょうか。


な〜んてとぼけて書いていますが、もうお分かりですね。プールの近くにあるものと言えば、更衣室かシャワールームですね。



船尾のプールの周辺にはこういった施設はありませんでしたので、これは一等客専用ということでしょう。


上の写真では、中央に煙突とエンジンを繋ぐ排気ダクトが通る部屋がありますが、その両側に通路があり、そのシャワー/更衣室があるところを見ると男性用と女性用に別れていたのかもしれません。

裸体にオープンなドイツ人ですが、プールでは現代でも更衣室は男女で分かれています。しかしその割には彼らは混浴がお好きなようですね。市営プールにもサウナが併設されていることがあります。男女の使い分けがどうなっているかは、いろいろあるようですが、女性専用と男女混浴用の二つに分かれているケースがあります。女性は女性専用の部屋を選ぶのだろうと思っていると大間違いで、どちらかというと男女混浴用が好まれるようです。ドイツ人は水着のままサウナに入るなんてお行儀の悪いことはいたしません。全裸です。

この辺りのメンタリティーは日本人である私には理解できませんが、女性も機会があれば自分の裸体をさらしたいんですかね。

コラムニストの山田五郎さんがテレビに出演して言っていたのを覚えているんですが、西洋にはルネッサンス以降、ギリシャ・ローマ的な裸体礼賛の文化とキリスト教/中世的な肉体を隠す文化が共存していて、それが服飾で立体裁断がこれほどまでに発展した理由だ、とのこと。つまり肉体の表面を隠しつつ形を露にするということ。

ということは、隠さなくてもいいという環境ができれば、さらけ出したいという欲求が前面に出てくるということなんでしょうか。

ちょっと船の話題からそれてしまったようです。

サンデッキの船室が完成すると、作業の重心はブリッジデッキに移ります。

2011年6月19日日曜日

NDL Potsdam (35) - 上部プロムナードデッキ完成

今回で上部プロムナードデッキがほぼ完成しました。

この上に操舵室のあるデッキがあるのですがその甲板を貼ってしまうと陰になってアクセスしにくくなってしまうところがあり、細かな作業ができなくなってしまいますので、今回は手すり等、細かな部分まで作り込みました。

まずはデッキの全体をご覧に入れます。上から二番目が上部プロムナードデッキです。メインのプロムナードデッキの上にありますが、違いはすべてオープンである点。同じところは一周ぐるっと回れるところ。このデッキにも客室がいくつかありますが、一等でも特別扱いのキャビンだと想像できます。現代のクルーズ船と違って、各部屋専用のバルコニーはありませんが、直ぐに外に出られるというのは、それだけ特権的な扱いということになります。



下の写真はデッキ前方をアップで撮影したもの。一段高くなったところは、上級船員の部屋と無線室のある部分です。どうして一段高くなっているのかは、前にも考察しましたが、下にある社交室の天井を高くするためかもしれませんね。確認できませんが。

この部分は、奥まったところにあり、後からは工作が難しくなりますので、今のうちに手すりを作りました。細かい作業でしたが結構、きれいにできましたね。手すりの水平方向のバーには、ボンドでコーティングした糸を使っているのですが、形状が安定していて、複数を平行に設置するとかなりの強度が出ますので、設置が容易です。

ところでこれと似た部分が、NYKの新田丸級にもありますね。やはり、この船が日本の貨客船デザインに与えた影響、ショック?、は大きいと言えそうです。




そして最後の写真がデッキ後方部分です。アーチを冠した窓が並ぶ部分は、食堂の吹き抜けです。このモデルには、あるはずのない床が設置されています。写真の右端の穴は、水色が反射していますが、プールができます。船尾のプールよりもだいぶ大きいものです。一等客用のプールということでしょうか。プールの下がスモーキングルームというのは、ちょっとユーモアがありますね。ドイツの船なのでヴィッツがあると言うべきか。その間の奥まった部分は、児童遊戯室です。船尾にも同じ設備がありましたので、こちらは一等客のお子様方専用と言うことでしょうか。船尾のものよりも窓が多いようです。こんなところにも差別化が表れています。
食堂吹き抜けの両側は、デッキプランによれば、それぞれゴルフ、卓球場だそうです。運航中は風もあったことでしょうから、果たしてうまく卓球ができたのでしょうか。玉が海に落ちてしまいそうです。スマッシュは禁止ですかね。



この後、いよいよ船の頭脳、ナビゲーションデッキの工作に入ります。安定しているとは言え、手すりがついてしまいましたので壊さないように慎重に作業を進めます。