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2011年7月10日日曜日

NDL Potsdam (41) - 「魚雷型超快速船」

船を造りながらいろいろと資料を探しています。画像資料は製作に役に立ちますが、文字の資料にも興味深いものが散見されます。

例えば神戸大学附属図書館がデジタル化した東京日々新聞の1934年(昭和9年)12月6日の記事はシャルンホルスト、グナイゼナウ、ポツダム就航の背景と日本の競合社、日本郵船汽船の反応が伺われ面白い。

その三隻の高速性能のことを紹介した記事では、上海 - ハンブルク間がこれまでの36日から24日にもなるほど高速だとのこと。現在の速度とは比べられませんが、低速と言えどもこれまでの極東アジアと西ヨーロッパを結ぶ航路の所要日数が3分の1も短くなるというのは尋常でありませんね。

それらの船を「魚雷型超快速船」と記事は紹介していますが、当時この記事を読んだ人はどんなおどろおどろしい船の形を想像したんでしょう。しかし「魚雷型」というのは水面上の形よりは、水面下の形のことでしょうね。おそらく球状船首の採用を言っているんでしょう。ただシャルンホルストとグナイゼナウは費用を理由として球状船首を放棄しましたので、実際には「魚雷型」はポツダムだけとなってしまいましたが。

記事は乗り物の高速化を流線型の採用と関連させて書いていますが、当時、乗り物の流線型は船に限らず世界的な流行で、日本でも流線型の機関車C53(1934年)、C55(1936年)、EF55(1936年)が造られています。

ポツダム号が建造されたのもそんな時代だったんですね。日本の鉄道では流線型はあまり高速化には貢献しなかったということですが、ポツダム号の場合、水面下の流線型は高速化に大いに貢献したようです。

現代の空の旅は、コンコルドも引退してしまいましたので、高速化は頭打ちです。ベルリンから東京までは、接続がかなりうまくいった場合で13時間、普通は15から16時間は覚悟しないといけません。日本を昼に発つ便ですと中継地点となるハブ空港までの最後の二時間くらいが辛く、乗り換え後はさらにきつい。直行便に乗れればかなり楽になりますが、現在ベルリンと東京の間には直行便はありません。今年度末からBoeing 787の各航空会社への納品が始まるそうですので、直行便の開設に期待しましょう。全日空、日本航空、そしてドイツ第二位の航空会社に成長したAir Berlinもこの機材を発注しています。燃費が良く中型の機材は、需要の少ない長距離路線でも採算の取れる運航が可能とのこと。ベルリン - 東京便の開設成るか?

4 件のコメント:

  1. 東京~ベルリンって15時間もかかるんですか!
    直行便が無いってのも驚きました。
    それで以前、ドバイでトランジットって言われてたんですね。
    私は15時間も座席によう座っとれんですわ。(笑)
    その点、船旅はウロウロできるのでいいですね!
    Boeing787は航続距離が延びるんですよね。
    これにより直行便が就航すると少しは楽になりそうですね。
    広島~羽田間にも就航が予定されてるそうですよ。
    ヒコーキは詳しくはないんですが、なんだか好きだったりもします。

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  2. いろいろお調べなんですね。流線型って、R・ローウィが書いたように30年代が始まりなんでしたね。私の母は戦前、大連から新京(長春)まで満鉄で旅したのですが、流線型の超特急あじあ号に乗ったのかな。ものすごい汽車に乗ったと言っていますが。30年ほど昔、私は国産プロペラ機YS-11に搭乗したことがあります。狭かったなあ。
    ベンチレーター、よくある形じゃないのですね?モレタニアで外が白、口が赤のやつをうんざりするほど作りました。そういえば、福島原発でベントしたってやつ、あれは排気設備なんですね。

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  3. DOCKさん、コメント有り難うございます。
    ドイツはフランクフルトがハブ空港で、ベルリンは空の玄関としては、まるっきり地方都市です。ちなみにドバイ経由だと20時間以上かかります。それもベルリンからは鉄道で就航都市へ移動です。ということで24時間以上はかかる計算ですね。暇のある乗り物好きにしかできません。
    いつか船でヨーロッパと日本を往復したいものですね。片道一ヶ月。暇の他にお金もかかりますから、夢のまた夢という気もしないでもありませんが、夢は夢だからいいのかも。お仕事頑張ろう。
    ちなみにシベリア鉄道経由だと日本まで二週間くらいです。20年以上前に乗りました。もう一度乗ってみたい、かどうかは微妙です。

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  4. Quinquinさん、コメント有り難うございます。
    このベンチレーターは、エンジンがレシプロではないので強制吸気のようです。よくある形のもの、あれはたくさん作るには根気が要りそうですね。
    アジア号、私の祖父も乗ったと言ってましたが、どうも祖父の話と本で読んだのとはちょっと違っていました。記憶違いなのか、臨時の増結車両のようなところに乗ったのか、今となってはもう確認のしようもありません。
    アジア号は、機関車だけでなく、客車も流線型で乗客にとっても「ものすごい汽車」だったんでしょうね。飛行機の会社が製造したということでしたが、窓は開かずにクーラーでの冷房だったそうです。しかしそれがよく故障したということも読みましたが。時代の最先端の列車だったのでしょうが、かなり無理をしていたことも事実のようですね。
    でも冷房なら、ドイツの新幹線も去年の熱暑で大分問題になっていましたが。

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