鋭意製作中

8月に入りましたまだ完成していません。
今月こそ完成へ!

2011年6月30日木曜日

NDL Potsdam (37) - ブリッジデッキ/サンデッキ

船の最上階である二つのデッキにハウスを作り、船の顔とも言うべきブリッジの前面の壁、ウィングの工作を進めています。

まずはこれ。ウィングのところに風が通るような細いすき間を作ります。これ何なんでしょう。ここを風が通ることで空気の流れを調整するのでしょうか。デフでしょうか。フロントに当たった風がここを通ることで流れが上向きになり、煙突からの煙がデッキに流れ込まない? ちょっとわかりません。


操舵室は、キットのままだと窓を穿つようにはできていませんので、当然ながら中も何もありません。窓を空けても中はほとんど見えないのですが、床ぐらいは作ることにしました。ラインを平行に引き、茶に塗って木製の床を表現してみました。氷川丸の操舵室を参考にしました。あとは操舵機も、と思ったのですが、資料がないため断念。




操舵室のフロントの壁をつけ、天井になるデッキを設置しました。



全体を前方から見るとこんな感じです。操舵室まで組み立てられたことで船のイメージがわかるようになりました。どうですか。NYKの欧州航路には最新鋭の船として当時、靖国丸、照国丸が投入されていましたが、それと比べるとかなり近代的な感じがします。靖国丸、照国丸は1930年代の初め、欧州航路用に作られた新田丸級が1940年代の初め、そしてこのポツダム号とシャルンホルスト号、グナイゼナウ号が1930年代の半ば。ポツダム号の近代性は、新田丸級に近いように感じます。ちなみにポツダム号の機関は、ターボエレクトリック、つまり発電機を回して電機を作り、それでモーターを回して動力としていました。これも近代的。




最後の写真は、岸壁に立ったつもりで見上げてみました。舳先も画面に入れるとよかったかな。

なるほどぉ。

谷崎潤一郎が、『細雪』の中で登場人物の口を借りて、ドイツの(客)船は尖っていて軍艦みたいだ、と表現した理由がまた一つわかりました。これまで船の胴体が尖っていることをそう言ったのかと思っていたのですが、それだけではありませんね。

この船、乾舷が浅く、ハウスのフロントはメインデッキから操舵室まで一気に積み上がっていて、乾舷の低さに比してその高さが強調されています。これってまさに軍艦のプロポーションですよね。上の写真のメインデッキの白い部分はカーゴハッチをつけるところなんですが、ここに砲台があったらまるで巡洋艦のよう。当時ドイツの船がどう見えたのか、また一歩、谷崎の視点に近づくことができました。

ちなみに谷崎さん、結構乗り物好きのようですね。関西から東京に出て来るときは、夜行鈍行列車の寝台をよくご利用だったようです。親近感がわきます。




ハウスの最上階までできましたので、次はファンネルが立ちます。黄色い煙突が立つと、紛れもなく北ドイツロイド所属の船になります。

2011年6月27日月曜日

ベルリン技術博物館訪問

日曜日の昨日は、久しぶりに時間があいたのでベルリンの技術博物館に行ってみました。

ベルリンは、東西ドイツ統一以来、首都移転以来、サッカーワールドカップ以来・・といつまでも工事が続いていて交通インフラも例外ではありません。

ベルリン技術博物館は、地下鉄1号線と2号線の交差するグライスドライエック (Gleisdreieck) が最寄りなのですが、この駅もともと作りが複雑な上に工事中でもあり、ホームから出口にたどり着いても、地元の人でなかったら自分がどこに出てきたのかわからないでしょうね。地元の人でも迷うんですから。

下の写真は地下鉄のガード下。ベルリンの地下鉄はとても古く、かつての都市中心部以外ではこのように高架鉄道になっているところもあります。このガードも年代物。このトラスだけでも産業遺産的な価値があります。


さて出口から5分ほど歩くと、目指す博物館が見えてきます。目印は地下鉄の車窓からも見えるこの吊り下げられたDC3。ベルリン封鎖での大空輸作戦の主力機です。



この博物館、展示は陸、海、空の交通ものが主体ですが、その他にも織物、映像、印刷などの展示もあります。今では鉄子、船子?なんて方々も増えてきているようですが、乗り物好きといえば昔から男の子の専売特許。でも、それでは学校の校外学習の訪問地になりにくいってことで、織物などの女の子になじみのある展示を入れているような気もするのですが、博物館側の意図はどんなものでしょうね。

敷地は広大なのですが、展示は総花で船だけを目当てに行くとちょっと物足りない感じもします。

例えばこれ。私の好きなペーパークラフトの船模型ですが、ドイツが誇る名船ブレーメンです。モデルとしては、できはいいのですが、ドイツ客船の最高峰が、このペーパークラフトだけというのはいかがなものか。
このモデル、おそらくブレーマーハーフェンの船舶航行博物館が販売しているのものでしょう。縮尺は500分の1だと思われます。どなたかが寄贈したものかも。
モデルは他にもあって、中にはプロフェッショナルや博物館が作ったと思われる精巧なものもあるのですが。





そんな展示の中で私が興味を持ったのはこちら。19世紀末以降のドイツからの、東欧諸国からドイツを経由した北米移民を扱ったコーナー。

下の写真はハパクの広告ポスターですね。ベルリンからハンブルクへは汽車で、ハンブルクからはハパグの船で、ロンドンに寄港してニューヨークへというものです。この頃から、大西洋横断ルートは近代船舶交通史の花形となり、オーシャンライナーと言えば、即大西洋航路の客船のことを指すようになりました。同時に客船は大型化、高速化していき、最速横断を競って「ブルーリボン」を奪い合っています。豪華客船の旅も、けして富裕層だけの関心事ではなく、庶民や細民も黙ってはいられないものだったのでしょう。



そして面白いのがこれ。当時の船室を再現したもの。まずは一等キャビンです。このキャビンはカウチが二つ、文机などがありますが、広さも当時のものを忠実に再現したものか、ちょっと怪しかったのですが、かなり広々としています。




そしてもっと面白いのが四等の寝台。その下の写真は説明ディスプレーのものですが、寝台は二段ベッドでぎっしりすき間なく、並んでいます。このクラスは、ドイツ語ではZwischendeckklasseと言いますが、直訳すれば「デッキ間クラス」ということ。だからキャビンとは言わないのですね。日本にも移民船と言うものがあり、同じような作りだったと思われますが、こちらの方がシステマティックな印象を受けます。何といっても、移民船という移民専用の船があったわけではなく、通常の定期運行する、豪華客船とも呼ばれる船の一部が、このような移民のスペースであったことを考えれば、それがどれだけ社会現象として定着したものであったかは容易に想像できます。

映画の『タイタニック』の世界も、こんな豪華客船でありながら、最下層の人々の移民の船でもあったオーシャンライナーの世界を描いています。二つのクラスを比較すると、その差は現代の旅客機のファーストクラスとエコノミークラスの差以上の隔たりがありますが、四等の狭い寝台で見る夢も、一等の豪華な船室で見る夢に比べて狭いということはなかったのでしょう。



船の展示は、航空機の展示と一緒に、新しい建物に入っていますが、DC 3が吊り下げられた展望台からはベルリンの地下鉄/高架鉄道がよく見えます。運河ぎりぎりのところを走らせているのは、未来主義といったらいいのか、将来の交通はこんなことになるんだろうという想像の上にわざとそのように作ったのではないかと私は想像しているんですが、事実はどうなんでしょう。



今回の訪問では船舶部門と、それに隣接する航空機部門を見ました。こちらは戦前のドイツ航空史に輝くFocke-Wulf 200 Condorの機内を復元したもの。現代の飛行機とは機内のスペースでは比べ物になりませんが、座席はかなりゆったりとしています。通路を挟んで2-1の横3列の座席配置。対面のボックス席もあり雰囲気としてはかつてヨーロッパを走っていた国際急行列車TEEのオープンサロンタイプの車両。当時TEEは、今のヨーロッパ国際急行列車ユーロシティー(EC)とは違って、一等車だけで編成されていました。
この機体は4発で大西洋も無着陸で横断できたそうです。極東との航空路にも利用されるはずでしたが、その運航を阻んだのは距離ではなく戦争でした。


日曜の午後の一時を博物館で過ごし、散歩しながら家路につきました。ベルリンの中心街は、しばらく足を向けなかったのですが、新しい建物や店舗もできており、観光客で賑わっていました。

2011年6月24日金曜日

NDL Potsdam (36) - 水泳場周辺

ブリッジデッキ(Brückendeck)とサンデッキ(Sonnendeck)の工作が進んでいます。

前者は後者よりも一段高くなっていますが、両方は小さなステップで繋がっています。サンデッキの前方は、作りが細かく、通路が前方の奥へと伸びていますが、この船室の壁がちょっと不思議な感じです。

壁にたくさんのドアがあります。しかもドアばかり。いったいなんでしょうか。

左舷側のキャビンの壁はこうなっています。



そして右舷も。



雰囲気としては刑務所の独房という感じです。時代が時代だけに政治犯や反体制の人物を閉じ込めるための施設でしょうか。


な〜んてとぼけて書いていますが、もうお分かりですね。プールの近くにあるものと言えば、更衣室かシャワールームですね。



船尾のプールの周辺にはこういった施設はありませんでしたので、これは一等客専用ということでしょう。


上の写真では、中央に煙突とエンジンを繋ぐ排気ダクトが通る部屋がありますが、その両側に通路があり、そのシャワー/更衣室があるところを見ると男性用と女性用に別れていたのかもしれません。

裸体にオープンなドイツ人ですが、プールでは現代でも更衣室は男女で分かれています。しかしその割には彼らは混浴がお好きなようですね。市営プールにもサウナが併設されていることがあります。男女の使い分けがどうなっているかは、いろいろあるようですが、女性専用と男女混浴用の二つに分かれているケースがあります。女性は女性専用の部屋を選ぶのだろうと思っていると大間違いで、どちらかというと男女混浴用が好まれるようです。ドイツ人は水着のままサウナに入るなんてお行儀の悪いことはいたしません。全裸です。

この辺りのメンタリティーは日本人である私には理解できませんが、女性も機会があれば自分の裸体をさらしたいんですかね。

コラムニストの山田五郎さんがテレビに出演して言っていたのを覚えているんですが、西洋にはルネッサンス以降、ギリシャ・ローマ的な裸体礼賛の文化とキリスト教/中世的な肉体を隠す文化が共存していて、それが服飾で立体裁断がこれほどまでに発展した理由だ、とのこと。つまり肉体の表面を隠しつつ形を露にするということ。

ということは、隠さなくてもいいという環境ができれば、さらけ出したいという欲求が前面に出てくるということなんでしょうか。

ちょっと船の話題からそれてしまったようです。

サンデッキの船室が完成すると、作業の重心はブリッジデッキに移ります。

2011年6月19日日曜日

NDL Potsdam (35) - 上部プロムナードデッキ完成

今回で上部プロムナードデッキがほぼ完成しました。

この上に操舵室のあるデッキがあるのですがその甲板を貼ってしまうと陰になってアクセスしにくくなってしまうところがあり、細かな作業ができなくなってしまいますので、今回は手すり等、細かな部分まで作り込みました。

まずはデッキの全体をご覧に入れます。上から二番目が上部プロムナードデッキです。メインのプロムナードデッキの上にありますが、違いはすべてオープンである点。同じところは一周ぐるっと回れるところ。このデッキにも客室がいくつかありますが、一等でも特別扱いのキャビンだと想像できます。現代のクルーズ船と違って、各部屋専用のバルコニーはありませんが、直ぐに外に出られるというのは、それだけ特権的な扱いということになります。



下の写真はデッキ前方をアップで撮影したもの。一段高くなったところは、上級船員の部屋と無線室のある部分です。どうして一段高くなっているのかは、前にも考察しましたが、下にある社交室の天井を高くするためかもしれませんね。確認できませんが。

この部分は、奥まったところにあり、後からは工作が難しくなりますので、今のうちに手すりを作りました。細かい作業でしたが結構、きれいにできましたね。手すりの水平方向のバーには、ボンドでコーティングした糸を使っているのですが、形状が安定していて、複数を平行に設置するとかなりの強度が出ますので、設置が容易です。

ところでこれと似た部分が、NYKの新田丸級にもありますね。やはり、この船が日本の貨客船デザインに与えた影響、ショック?、は大きいと言えそうです。




そして最後の写真がデッキ後方部分です。アーチを冠した窓が並ぶ部分は、食堂の吹き抜けです。このモデルには、あるはずのない床が設置されています。写真の右端の穴は、水色が反射していますが、プールができます。船尾のプールよりもだいぶ大きいものです。一等客用のプールということでしょうか。プールの下がスモーキングルームというのは、ちょっとユーモアがありますね。ドイツの船なのでヴィッツがあると言うべきか。その間の奥まった部分は、児童遊戯室です。船尾にも同じ設備がありましたので、こちらは一等客のお子様方専用と言うことでしょうか。船尾のものよりも窓が多いようです。こんなところにも差別化が表れています。
食堂吹き抜けの両側は、デッキプランによれば、それぞれゴルフ、卓球場だそうです。運航中は風もあったことでしょうから、果たしてうまく卓球ができたのでしょうか。玉が海に落ちてしまいそうです。スマッシュは禁止ですかね。



この後、いよいよ船の頭脳、ナビゲーションデッキの工作に入ります。安定しているとは言え、手すりがついてしまいましたので壊さないように慎重に作業を進めます。

2011年6月12日日曜日

NDL Potsdam (34) - 上部プロムナードデッキ(後方)-調査不足

上部プロムナードデッキの工作が進んでいます。デッキの前方部分は前回レポートしましたが、今日は後方。しんがりにはこんな側面がついています。


窓を切り抜いたのですが、アーチを冠した窓がついています。右下に切り抜かれた水色の窓が見えます。「ポツダム号」という名前から、設計者は宮殿を意識していたのではないかと推測してみましたが、やはりこの窓も宮殿のイメージにぴったりです。

窓を切り抜き、桟は真鍮を表現するために金色で描き、設計者の意図に添うようにしましょう。

下の写真は、コピーした側面に透明シートを重ね合わせ金色のボールペンで桟をトレースしているところ。水平方向の桟は木製のようですから細い紙のストライプを貼って表現します。


設置するとこんなふうになります。一段と宮殿っぽくなってきました。


窓が透明(半透明)で床が外から見えますので、床を張ってみましょうか。どうですか?

昔「イヴァン雷帝」という古い映画を観たことがあります。その中で、宮殿の床がこんな白黒(映画が白黒なので色はわかりませんでした)の市松模様になっていたのが印象に残っています。実際にはどんな床だったのかわかりませんが、宮殿のイメージに合わせて、それを採用してみました。Wordで表を作りマスを交互に白と黒にすれば簡単にできます。厚紙にプリントアウトして適当な大きさに切れば出来上がり。

なかなかきれいじゃないですか! 宮殿の広間のよう!


しかしこの部屋、実際には何に使われていたのでしょうか。かなり広い広間のようですが。

手元のデッキプランをルーペで拡大してみると、何か書かれているようです。Speisesaal-、え、ここも食堂なんですか? 特等客用の特別食堂でしょうか。しかし厨房は? 隣は児童遊戯室だそうで、厨房ではありません。下から持ってくると料理が冷めてしまいますがいいですか?

おや、Speisesaal-の下にまだ何か書かれています。「-」は、単語が次の行に続いているということですから、次の単語とあわせて一語ということですね。

なになに? 字がつぶれていてよく読めませんが、Durchbauではないかと想像できます。Speisesaal-Durchbauってことになりますが、何でしょうね。Durchはそれだけでは前置詞ですが「通った」「通り抜けの」などと解釈で来ます。英語のthroughです。Bauは「建築」とか「造り」なんて意味。ってことはSpeisesaal-Durchbauって「食堂の通し造り」? それって、もしかして「食堂の吹き抜け」ってことでしょうか。そういえば、この下は食堂でした。

イタタタ・・、窓を穿って実物にはあるはずのない床を見せ、しかも床を張ってしまって、その上、悦に入ってしまいました。


この上にデッキを貼ってしまうと、窓も半透明でほとんど見えませんので、今回のレポートは読まなかったことにしてください。


この側面に一つもドアがないのは、吹き抜けの明かり取りで、ドアをつける必要がなかったからですね。こちらの方が宮殿っぽい贅沢さです。

2011年6月9日木曜日

NDL Potsdam (33) - 上部プロムナードデッキ(前方)

プロムナードデッキが完成し、その上のデッキの作業に入りました。

この部分、ボートデッキと呼ぶのかと思ったら、デッキプランには「上部プロムナードデッキ (Oberes Promenadendeck)」となっています。このデッキには1/2人用の客室と無線室、上級船員用の部屋があります。

ポツダム号のデータには客室の等級は1等とツーリストクラス(2等)しかありませんが、客室は特等、特別室、貴賓室なんでしょうね。このデッキの客室は、広さはプロムナードデッキより下層の1等室とさほど変わりませんが、一般の客室と分けて別の層に儲けているところで特別な設備なんだろうと想像できます。

人から聞いた話ですが、一昔前までは、飛行機の国際線では、お金を出したからと言ってファーストクラスの席を予約できるわけではなかったということです。飛行機のファーストクラスは特別席であって、航空会社がお客を選んだということを聞きました。それでも庶民が利用できるのは新婚旅行などといった特別の機会に、航空会社が特別に許可した場合、ということを聞きました。本当ですか?

戦前の船の特別室、特等室はそれに似た設備だったのかもしれません。閑話休題。


無線室と乗組員用のスペースはデッキの前方にあり、一段高くなっています。下の写真を見るとそれがわかります。


側面にはプラットホーム状の部分があります。乗客が行き来するデッキより少しだけ高くしてあるのは運航の安全を確保するためでしょうか。夜の当直を終えて自室に戻った船員が、乗客の視線と話し声に妨げられないように休息するための工夫かもしれません。

上の写真では、そのプラットホームが駅のそれのようになっていますが、これは作りかけです。この後、手すりとステップを付けます。キットに付属する部品では、手すりは白い壁に黒い横線が引かれただけのものですが、今回はこれをリアルに作ることにします。

下の写真が作りかけで、接着前のもの。


前作のTSS Stefan Batoryでは、透明シートに白いラインを引いて手すりを表現しましたが、今回は糸を使って作っています。前作でも一部に使いましたが、400分の1のモデルでは使えるところが限られていて不完全燃焼でした。

今回は全面的にこの手法でいきます。

上の写真、初めて作ったものにしては成功した方だと思いますが、糊の影響か、支柱が若干反ってしまいました。裏側にも支柱を貼れば反りを防止できるでしょうか。

試行錯誤が続きます。

2011年6月6日月曜日

NDL Potsdam (32) - プロムナードデッキ完成

プロムナードデッキが完成しました。

ずっと眺めていたいのですが、それでは作業が進みませんので、ここでプロムナードデッキ特集をして工程を先に進めます。

まずは特徴的な前面部分。前にも書きましたが、準姉妹船のシャルンホルスト、グナイゼナウは、この前面部分は全部社交室になっていて通り抜けができません。ポツダム号はと言うとここをかなりの割合でウッドデッキが占めています。社交室にしてしまえばだいぶ広くスペースが使えるものを、敢えてこうしたのは、設計者の船旅へのこだわりでしょうか。




次の写真は、全体を写したもの。もちろん未完成ですが、どんな配置なのかだんだんわかってきましたね。このハウスの配置は、現代のクルーズ船には絶対に真似ができません。ハウスはもっと前から始まっていないと、船のバランスはともかくとして、船会社、クルーズ企画会社は経営のバランスを崩して転覆してしまいます。



プロムナードデッキを右舷上方から。上にデッキを貼ってしまうとこれも見納めです。



またもファサードのある前面部分に足を運んでしまいました。ファサードの前には「バルコニー」があります。この粋な計らいも準姉妹船には見られないところ。バルコニーに出るのにドアが左右に二箇所ずつあります。そしてその奥にはWindfang、つまり仕切り室がありますね。バルコニーに出る人はいったんこのロックに入って、そして外へのドアを開けます。こうすることで前方からの風がプロムナードデッキを無遠慮に吹き抜けるのを避けることができます。室内のドアが後方ではなく横方向を向いているのは、やはり風の流れを計算に入れたものでしょうか。



今度は左舷です。側面は窓ガラスの入った大型の窓と、後ろ4つの開口部からできています。4つの開口部も準姉妹船とは形が違いますね。ポツダム号の方が優雅に見えますが、ひいき目でしょうか。宮殿のイメージ。まさに海に浮かぶ宮殿です。



後ろ上方からプロムナードデッキを見下ろします。梁と柱で側面の壁が支えられています。宮殿なら列柱廊でしょうか。



その列柱廊を後ろからのぞき込みます。社交室の出っ張った窓まで見通せます。一番奥の蛇腹になったところが仕切り室です。




最後は左舷側をのぞいてみます。まさに列柱廊の雰囲気。




これでプロムナードデッキの紹介はお仕舞い。こんなウッドデッキをぐるっと歩けたらどんなにすばらしいことでしょう。皆さんもそう思いますか。では夢でお会いしましょう。

2011年6月2日木曜日

NDL Potsdam (31) - プロムナードデッキ側面の窓

前回で、プロムナードデッキの前面のファサードができました。小さな窓が並んでいるのが特徴でしたが、これが厄介でした。ファサードの三つに分かれている部材のうち真ん中の窓は何とかまともにできたのですが、その両隣の部材の窓はうまくいきません。おそらくアートナイフの刃がもうなまってしまったのでしょう。真ん中の部材の小さな窓を開けるのにだいぶ酷使しました。切れ味の良い新しいものに交換すればまたうまくいくかもしれませんが、毎回毎回交換するわけにもいきませんし、交換したからと言っても必ずしもうまくいくとは限りません。このことはこれまでの経験でわかっています。

理由は、刃物がものを切れるのはどうしてか、ということによります。

刃物はものを切るためのものですから切れるのが当たり前のようですが、刃物は刃の部分と対象物がすれることによって切れます。切れ味の悪いナイフでも動かせば切れますし、刃物でなくても薄い紙の端でも指などにすっとすれれば皮膚が切れて血が出ます。このようにものが切れる切れないは、刃が鋭いかだけでなく、刃が動くか動かないかにもかかっています。小さな開口部で、刃を立ててもほとんど動かす余地がない場合、なかなか切れず、うまくいかないというのは尤もなことです。無理をすると桟の部分を壊してしまいます。

刃の鋭さばかりに頼れないとしたら、小さな窓を開けるには何か別の方法を考えなければいけません。

で、考えました。

無理に小さな窓を開けるのではなく、ある程度大きく切り開いて、桟は別に作ってはどうか、というのがひらめいたアイディアです。早速やってみました。

プロムナードデッキの側面の窓でやってみます。下の写真はその部材ですが、窓が上下に分かれていて上の窓はとても小さい。これを全部空けるとなると、いくら工作好きでもゾッとします。


水平方向の桟は後から別に作ることにして作業を開始しますが、単に桟を後から貼るのでは、交差する部分が二重になってしまって出っ張ってしまいます。

そこで下の写真のように、まず桟の部分の表面を薄く剥がして、桟の部分に溝を作っておきます。あとでここに桟をはめ込みます。表面を薄く剥がすなんて難しいように感じますが、結構うまくいくんですよ。

桟の上下両側に切れてしまわない程度にナイフで溝を作り、両脇から表面だけを薄く剥がしてピンセットで丁寧に取り除きます。下の写真がそれをやっているところなのですが、わかりますか。


それができたら次は、上下方向に上から下まで一続きで切ってしまいます。縦の桟を残して窓を開けます。既に説明したように、比較的大きくナイフを動かせますので、刃先が多少鈍ってしまってもよく切れます。その結果、細い桟もきれいに残ります。


そして水平方向の桟になる部材をやや薄い厚紙で作ります。今回は、150 g/m2の紙を使いました。それができたら垂直方向の桟にできている「溝」に糊付けし水平方向の桟を貼っていきます。両脇にも溝をつけておいて、端をそこに埋め込みます。


糊が完全に乾いたら、両端の部分をナイフで薄く削って出っ張りを目立たないようにします。完全にわからなくするのには、私の場合まだまだ作業の熟練が足りませんが、結構うまくいくものです。けして無理な作業ではありません。手間はかかりますが、小さな窓を一つずつ全部作っていくよりはずっと手間が省けます。

こんなふうに出来上がりました。



一本の桟が端から端まで通っていますので、水平方向がきれいにできます。小さな窓を一つ一つ作っていたのでは、この連続性がうまく出ません。

今回のレポートは、ちょっと成功自慢っぽくなってしまいましたが、いつも失敗ばかりなのでたまには許してください。